【2020春…新たなスタート①】甲子園で本塁打放った星兼太さん「いつか地元に貢献を」 

野球を通して、学んだことがある。その思いを胸に、この春、新たなスタートを切る新潟の<野球人>を3人紹介する。

1人目は日本文理高校OBで、今春東洋大を卒業した星兼太さん(22歳・見附市出身)。高校時代は2年夏の甲子園で本塁打を放つなど、全国ベスト4進出に貢献する活躍を見せた。しかし東都の名門・東洋大に進学後は、試行錯誤の末に「自分の打撃を見失ってしまった」。リーグ戦出場は5試合にとどまった。野球からの引退を決意し、4月からは埼玉県にある一般企業に就職する。星さんは「野球を通していい思いも悔しい思いもし、たくさんの仲間に巡り合うことができた」と振り返り、「いつか地元の野球界に貢献できれば」と前を向く。

東洋大を卒業した星兼太さん 2月には地元・見附市でのイベントに姿を見せた
(撮影/武山智史)

その表情は晴れやかだった。

東洋大での4年間を終え、2月に地元・見附市に帰省した。

「野球をやってきてよかったです」

久々に会う星さんは、現役時代には見せなかった柔和な目で、はっきり言った。


日本文理高校では1年からレギュラーに 思い切りのいい打撃で活躍した

星さんの球歴は華やかだ。

中学時代は硬式野球チームの長岡東シニアの主力打者として活躍し、全日本代表に選出された。日本文理高校では入学直後の練習試合で3打席連続本塁打をマークし、大井道夫監督(当時)の度肝を抜いた。1年秋の神宮大会決勝では先頭打者本塁打を叩き込み、2年夏の甲子園では1回戦の大分戦で後にプロ入りする佐野皓大投手(オリックス)から勝ち越し本塁打を放った。3年夏は甲子園出場を逃したものの、新潟大会準決勝(新潟戦)では8回に試合を決める本塁打を放った。

修行僧のような鋭い目。とことん自分を追い込む練習姿が印象的だった。

そして、初球から思い切りよく振り抜く打撃で印象に残る本塁打を量産した。「新潟県史上、最強の打者」…星さんをそう評価する新潟の野球関係者は多い。

「プロを目指したい」。4年前、そう言って故郷を後にした。大学野球の名門・東洋大学の門を叩いた。

入学後、すぐに一軍であるAチームに抜てきされた。

しかし、なかなか練習試合で結果を残すことができなかった。

「実は高校3年生の時にあまり打てなかったと、自分の中で思っていました。その分、自信を持って大学に入学したわけではなかったのです。入学後にAチームのメンバーには入れてもらうことができましたが、公式戦に出場する機会はなかった。ただ、その時に悔しい気持ちを持ってスタートしたことで、練習も自主練習もずっと真剣に取り組むことができました」

高校時代は簡単に打つことができたヒットが出ない。自分の打撃を追求しようと、インターネットの動画サイトなどでも研究を続けたが、調子は上向いてこなかった。

「今の時代は特に動画などでいろいろな打撃理論が世に溢れていますが、自分で消化しきれませんでした。試行錯誤をしすぎて、“自分の形”というものがどんどん分からなくなっていきました。いろいろ試し過ぎたのがよくなかったのだと思います。自分にプレッシャーをかけ過ぎた部分もありました」

リーグ戦には5試合に出場。「ヒットは1本だけ打ったのは憶えています」。高校時代の活躍を知る人たちからは「星はどうしているのか?」と言われた。「期待をしてもらっていた分、自分自身もやるせない気持ち…全く結果が出せなかったのが悔しくて情けない気持ちでした」と唇を噛む。


大学時代の星さん 打撃に悩んだ末、試行錯誤を繰り返した

それでも、腐らなかった。4年間、厳しい大学野球をやり通した。その原動力は何だったのか。

「一番は…家族です。ずっと応援してくれていましたから。それから小中高校とお世話になった指導者の皆さんの存在です。そういう人たちの応援が、新潟を離れた後、うまくいかなくて悩んでいた時期でも、『もう一度活躍したい』という思いにつながりました」

最終学年の4年生として迎えた去年春。

星さんは「就職を考える時期になり、このリーグ戦で選手として一区切りつけよう」と決意して臨んだ。

「最後まで自分にできるだけのことをしようと練習をして臨みました。出場機会はなかったのですが、自分の中ではやれることはやった。中途半端な気持ちではなく、うまく区切りをつけることができました」

子どもの頃からのプロ入りの目標は叶わなかったが、自分が辿ってきた野球の道に後悔はなかった。

その後、就職活動の結果、埼玉県にある一般企業から内定をもらった。今は仕事を通して社会に貢献したいと考えている。

そして、新潟県の高校野球の後輩たち、大学野球を目指す後輩たちにエールを送る。

「未来は決まっていません。やればやった分だけ自分に返ってくる可能性があります。自分がやらなければ、後に続く人たちの次の道も開けてこない。日本文理の後輩たち、新潟の野球の後輩たちの活躍を見るとうれしい。自分は野球を通して、いろいろないい思いも、悔しい思いもしてきました、もし機会があるならば、そういうものを少しでも伝えられたらなと思います」

2月24日、見附市で行われた女子野球のイベント会場に姿を見せた星さんは、楽しそうに野球をする子どもたちの姿を見て、こう言った。

「10年以上、野球をやってきた中で、苦しいこともありましたが、野球をやってきてよかったなという思いです。野球のおかげでたくさんの仲間や人たち巡り合うことができました。今、野球人口が減少している中で、こうやって野球が好きでやっている子どもたちの可能性、未来を潰さないよう、好きなことをできる環境を整えられることができたらと思います。自分は埼玉で就職しますが、いつか地元の野球界に貢献できればと思っています」

(取材・撮影・文/岡田浩人 撮影/武山智史 撮影/嶋田健一)