ルートインBCリーグの新潟アルビレックスBCに10年間在籍したベテラン選手が新潟を離れる。足立尚也内野手(32)は2011年に入団し、広角に打ち分けるシュアな打撃と堅実な守備で、2012年の独立リーグ日本一、そして2015年のBCリーグ優勝に貢献した。積み重ねた安打数は今季節目となる500安打をマークし、リーグ歴代4位の数字を残した。しかし、シーズン終了後に自由契約となり、その後、現役引退を決断した。地元の神奈川に帰る足立だが「新潟は第二の故郷」と言い切り、「勝負事の全てを経験できた。その中で日本一を経験でき、新潟の皆さんに恩返しができた」と胸を張った。
引退を決断した足立尚也 10年間住み続けた長岡市内のアパートから引っ越し、新潟に別れを告げた
11月下旬、長岡市内のアパートで荷物を片付ける足立の姿があった。22歳で新潟に来て10年間、足立がずっと生活してきた部屋を離れる時が来たのだ。
「いろいろな引き出しを開けると思い出が出てきます。サポーターが撮影してくれた写真、いただいた手作りのお守り…こんな時代もあったなと思い出しながら、掃除しています。みんな、神奈川の実家に持って帰ります。10年…大学を卒業して新潟に来た時はこんなに長い時間、新潟にいることになるとは考えてもいませんでした」
神奈川県出身の足立が新潟にやって来たのは2011年の春だった。高校卒業後に入学した桜美林大学には当時、硬式野球部がなく「準硬式で大学野球が始まった」と振り返る。その後、足立が3年生の時に準硬式野球部が硬式野球部に変わった。首都大学野球連盟の2部からスタート。足立はそこで首位打者とベストナインに輝く。「NPB(日本野球機構)でプロ野球選手になりたい」という夢を追い求め、独立リーグ挑戦を決意し、卒業後に新潟にやって来た。
「2011年に入団して最初の監督が橋上(秀樹)さんでした。当時は正直、まだ学生気分が抜けていませんでした。今から考えると自分は練習などでの動きの切り替えが遅く、一球一球への考え方も甘かったと思います。少しでも気の抜いたプレーをすると橋上監督から厳しく指導されました。そこで『プロの世界に来たんだな』と思いました。大卒同期の選手は5人…平野(進也)、福岡(良州)、高橋(将)、下条(大貴)、野呂(大樹)でした」
足立は当初、打撃に課題があった。「長打力がなく、全く外野に飛ばなかった」。そこで全体練習の後に、当時キャプテンだった清野友二氏(現・松本大監督)と毎日、日の暮れるまで自主練習を繰り返した。入団2年目の2012年のシーズン後半からレギュラーに定着した。
「清野さんと一緒にロングティーをやって、飛距離が少しずつアップしていきました。3年目(2013年)にはまさかの『四番打者』を任されて(笑)。野球人生で四番なんて打ったことがありませんでしたが、そこでキャリアハイの成績(打率・331)を残すことができ、リーグのベストナインに選ばれて自信になりました」
2015年にはチームキャプテンも経験、若手を引っ張立場になった。一方で、年齢を重ねるにつれ、目指していたNPB入りの可能性は低くなっていった。20代後半に入るとケガとの闘いでもあった。それでもチャンスで代打で登場し、一振りで戦況を変える一打を放つ足立に、サポーターは声援を送った。
「続けられた根底は野球が好きだったからです。入団した時から球団に切られるまではやりたいと思ってきました。打撃練習も変わりました。若い時はとにかく思い切り振って遠くに飛ばすという練習でしたが、キャリアを重ね、一打席に求められるものがあり、泥臭くてもヒットになるようなコースに飛ばす打ち方、それを強いスイングの中で養っていく、というふうにチェンジしました。試合では一打席しかない、もしかしたら一球、場合によっては初球で決めなければならない、という中で練習から意識をして取り組んできました」
10年目となった今季、足立は節目となる「通算500安打」を達成した。BCリーグでは稲葉大樹(新潟)を筆頭にこれまで3人しか到達していない数字だった。足立はリーグの歴史に名を刻んだ。
「毎年、前評判の高い、有望な新人選手が入ってくる中で、そういう選手たちに負けたくないという思いでやってきました。それがモチベーションでした。500安打のペースも稲葉さんに比べれば遅いのですが、でも続けてきたからこその500本で、誇りに思います。球団やサポーターへの恩返しと思っていたので、感謝の気持ちの一本でした」
2020年、10年目のシーズンを終え、球団から足立の退団が発表された。自由契約となった足立は現役を続ける道を模索したが、最終的には現役引退を決断した。
「現役は引退します。正直、未練がないと言えばウソになりますが、球団には10年もユニフォームを着させてもらって感謝しています。サポーターの皆さんからは、退団が決まった後、『もっとプレーが見たい』と言われてうれしかった。その反面、新潟の皆さんとお別れしなければいけないのが寂しい。サポーターには自分のような目立たない選手を応援してもらって本当に感謝しています。新潟に来るまでの22年間はずっと神奈川の実家暮らしだったので、新潟は第二の故郷になりました『新潟のお母さん』のように接してくれる方もいて、そういう皆さんの存在が10年間という選手生活につながりました」
左打席から逆方向であるレフト線へ放たれるヒット、目の覚めるような右中間を抜く打球…広角に打ち分ける足立の芸術的な打撃を、もう見ることはできない。
「新潟で勝負事のすべてを経験できました。その中で(独立リーグ)日本一を経験でき、新潟の皆さんに恩返しができたという思いもあります。今は地元の神奈川に帰ることが決まっているだけです。僕は退団・引退しますが、アルビレックスはこれからも続いていきますので、今後もチームを温かい目で応援していただければと思います。10年間、ありがとうございました」
10年間の現役生活を終え、バットを置く決断をした足立 社会人として新たなスタートを切る
※足立選手のインタビューは2021年1月発売予定の「新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ オフィシャル・イヤーブック2020」で詳しく掲載予定です
(取材・撮影・文/岡田浩人)