日本野球機構(NPB)は川上拓斗育成審判員(中越高-BCL審判員)と1月1日付で「NPB審判員」として契約すると発表した。川上審判員は小千谷市出身の25歳。NPBが2013年に「アンパイアスクール」の受講者から審判員を採用する制度を始めて以来、新潟県出身者が正審判員となるのは川上審判員が初めて。 新潟県出身者がNPB審判員になるのは、上越市出身で2010年までパ・リーグ審判員を務めた山崎夏生さん(66歳)以来。今後は一軍デビューに備える。
NPB審判員となる川上拓斗審判員(中越高-BCL審判員)
川上審判員は中越高校野球部出身で、2年夏にケガをした際に審判員の仕事に興味を持ったことがきっかけで、卒業後の2015年春からルートインBCリーグの審判員に採用され、公式戦のジャッジを担当した。2018年にNPBの「研修審判員」に採用され、翌2019年には「育成審判員」に昇格し、ファーム戦を担当するようになった。3年目の今季終了後、一軍の試合を担当できると力量が認められ、晴れて来季からの「正審判員」として契約することとなった。
川上審判員は一昨年のイベントで将来の夢について「高校時代に行けなかった甲子園でジャッジしたい。最高峰の日本シリーズでも裁きたい」と語っていて、来季から夢への第一歩を踏み出すことになる。
◎後を追う中越高校の後輩も意欲 BCL審判員に合格した渋谷藍生さん◎
川上審判員の後輩で、中越高校3年の渋谷藍生さん(18歳)がこのほどルートインBCリーグの審判員に合格した。来季からBCリーグの公式戦で実戦経験を積み、NPB審判員を目指す。渋谷さんは「声が大きく、正確なジャッジを心掛けたい。夢は日本シリーズを担当すること」と目を輝かせる。
来季からBCLの審判員としてデビューする予定の中越3年・渋谷藍生さん
渋谷さんは三条市出身で、中学時代は硬式野球の三条シニアに所属。捕手として中3春に新潟北シニアとの合同チームで全国選抜大会に出場した経験を持つ。
中越高校に入学後の1年夏に練習試合で球審を務めたことがきっかけで、「野球の見方が変わった。自分のジャッジで勝敗を分ける責任感と第三者の目線で野球を見ることができ、新しい世界に触れた」と審判員の仕事に興味がわいたという。同じ頃、川上審判員がNPBファームの試合を担当する記事を見て、「中越高校のOBが活躍する記事を見て、どうやったら審判員になることができるのかを知り、将来の仕事として審判員を考えるようになった」と話す。
1年の冬、厳しい練習についていけず、「自分だけ課題ができずに体力的に置いていかれ、心が折れかけた」と退部を考えたこともあった。しかし「周りのみんなに『やめたら後悔する』と励まされ、続けることができた」。2年夏に「裏方としてチームを支えたいと思った」とマネージャーに転向。3年春には記録員としてベンチ入りした。
試合前ノックで本田仁哉監督(右)にボールを手渡す渋谷さん 裏方としてチームを支えた(5月撮影)
3年最後となる今夏の新潟大会では大会中に校内での新型ウイルス感染が拡大し、無念の出場辞退を余儀なくされた。「頭が真っ白になった。しばらく自室から出られなかった」と当時を振り返る。
卒業後は「一般企業に勤めながら、アマチュアの試合の審判員ができたら」と漠然と考えていたというが、「高校野球で最後の夏を戦うことができず後悔しか残らなかった。若いうちに、より高い目標に挑戦したい」とNPB審判員の道を目指そうと決意した。そのための第一歩として、「川上さんと同じようにBCリーグの審判員から挑戦したい」と決意を固めた。
本田仁哉監督は「最後の夏に辞退という形で終わったが、そこでくじけずにもう一度、一流を目指して勝負する気持ちがうれしかった。こういう夏を経験した部員が野球で喜べる経験をしてほしい」とエールを送る。
渋谷さんは夏の引退後、後輩たちの練習試合の審判を務めるなど実戦経験を積んだ。10月末に実施された「BCリーグ審判トライアウト」を受験し、筆記、面接、実技試験を経て、11月30日に合格の知らせを受けた。既に「今まで貯めたお年玉を使いました」と自費で審判道具を購入。時間が空いた時や寝る前には「公認野球規則」を読み込み、来春のデビューに備えている。
「今年の日本シリーズをテレビ観戦しまたが、今までと全然見方が違い、審判員の動きばかり見ていました。NPBの白井一行審判員のように、大きな声で正確なジャッジを心掛け、先輩の川上さんに負けないような審判員になりたい。夢は日本シリーズを担当することです」
まずはBCリーグで経験を積み、来年以降、毎年冬に開催されるNPBアンパイアスクールで採用されることを目指す。
(取材・撮影・文/岡田浩人)