NPB(日本野球機構)イースタン・リーグのオイシックス新潟アルビレックスBCの稲葉大樹(いなば・ひろき)内野手(40歳)が今季限りで現役を引退することを決断した。球団が創設された2007年から18年間にわたってプレーをしてきた唯一の選手で、独立リーグのルートインBCリーグとNPBイースタンで合わせて通算966安打をマーク。“ミスターアルビレックス”や“レジェンド(伝説)”と呼ばれてきたプレーヤーがバットを置く。稲葉は新潟野球ドットコムの取材に対し「40歳の年にNPBイースタンで選手としてプレーする経験をさせていただき、ここでユニフォームを脱ぐ決断をした。関わってくれたすべての皆さんに感謝の思いでいっぱい」とコメントした。4日に阿賀野市で開催される「サポーター感謝デー」でファンへのあいさつを行う予定。
今季限りでの現役引退を決めたオイシックス・稲葉大樹…18年間で966安打をマークし、チームの精神的支柱として活躍した
稲葉は1984年生まれで東京都出身。安田学園高を経て、城西大ではベストナインに輝いた経歴を持つ。大学卒業後はクラブチームでプレーしていたが、BCリーグ創設初年度の2007年シーズンの途中で新潟アルビレックスBC入り。入団5年目の2011年に安田学園高の先輩でもある橋上秀樹監督が就任すると、8月には月間打率・647をマークするなど打撃が開花。シーズン100安打を放ち、打率・370で首位打者と野手部門のMVPタイトルを獲得した。
NPBからのドラフト指名はなかったが、その後も新潟の中心選手として活躍し、2014年にはキャプテン、2015年からはコーチを兼任した。2019年8月8日には日本の独立リーグ所属選手として初めてとなる通算900安打を達成。BCLでは歴代2位となる958安打をマークした。イースタン・リーグ所属となった今季は選手として開幕戦で先発出場するなど若手と切磋琢磨。今年8月に40歳となったが、31試合に出場し、37打数8安打、2打点、打率・216の成績を残した。現役最後の打席は9月29日の埼玉・戸田球場でのヤクルト戦で、6回に代打出場しピッチャーゴロだった。
9月29日のヤクルト戦で6回に代打出場した稲葉はピッチャーゴロに倒れる。これが現役最後の打席となった(撮影/武山智史)
新潟野球ドットコムの取材に対し、稲葉は「40歳まで現役でプレーさせてもらうことができ、今は感謝の気持ちでいっぱい。22歳でアルビレックスに入団し、40歳の年にNPBのイースタンで選手としてプレーするという経験をさせていただいた。やりきったという気持ちになり、ここでユニフォームを脱ぐ決断をした。関わってくれたすべての皆さんに感謝の思いでいっぱい」と話した。
現役引退後も球団に在籍する予定。今月4日に阿賀野市のサントピアワールドで行われる「サポーター感謝デー」で長年応援してくれたファンに対し、直接引退のあいさつをし、感謝の思いを伝える。
◎唯一無二の道を歩いたバットマン 背中で若手に伝えた“練習の鬼”◎
身長171センチ。野球選手としては決して大きくはない体格だったが、稲葉大樹は18年間もの長きにわたり“プロ野球選手”としてファンの前でプレーし続けた。1984年生まれの同期生でNPBの世界で今季もプレーしたのは巨人の長野久義、楽天の岸孝之くらいで、40代で現役を続ける選手は数えるほどしかいない。
22歳で新潟にやって来て、独立リーグで異例とも言える17年を現役として過ごした。そして球団のイースタン・リーグ参加で、稲葉は40歳になる年で迎えた今季、NPBファーム戦で“デビュー”した。3月16日のビジター・ヤクルトとの開幕戦で「三番・指名打者」として先発出場。17年前、新潟に来たときに夢見ていた“舞台”に立った。
3月16日のヤクルト戦でNPBファーム公式戦出場を果たした稲葉
稲葉を支えてきたものが“練習”である。
チーム練習後の自主練習でも最後までフリー打撃でバットを振る姿がいつもあった。年齢を重ねても「がむしゃら」「泥臭く」という言葉が似合う男だった。
入団5年目の2011年に高校の先輩・橋上秀樹監督が就任すると、野球人・稲葉は大きな成長を遂げる。「人間的な成長なくして、技術の成長なし」…橋上監督は稲葉に言い続ける。最初は言葉の意味するところがわからなかった稲葉だったが、周囲への目の配り方を変えると、「これまで見えていなかったものが見えてくるようになった」。投手の細かなクセ、配球の傾向……それまで考えなかったことを考えるようになると、打撃が大きな飛躍を遂げた。ただ、目指していたNPBのドラフト指名はなかった。
稲葉は自身の悔しさや経験を、若手選手にその背中で伝えるようになった。
「自分はもうNPBに行くには厳しい年齢になってしまったけれど、若い選手も早く気づかないとNPBに行ける年齢ではなくなってしまう。練習をするのは当たり前。そこにプラスして、なぜその練習が必要なのか、そこを考えないとNPBに行けない。先輩として、いい経験をしているプレーヤーとして、自分の行動やプレーで気付いてほしいんです」(2013年の取材より)
最後まで練習を続ける稲葉…背中で若手を引っ張っていった(2013年撮影)
印象的だった出来事がある。数年前のオープン戦でアルビレックスと対戦した大学生たちがベンチで「稲葉さんだ」「オレ、子どもの頃に野球を教わったことがある」と現役でプレーを続ける稲葉の打席を見て、感激していたのだ。新潟の野球少年たちにとって、稲葉大樹の背中は“レジェンド”だった。
40歳になる年でのNPBファームデビュー。対戦するのは有望な、若き投手たちである。「常に必死だった」という稲葉。150キロ近い直球を打ち返すなど、今季放った8本の安打は、BCリーグ時代に放った958本の安打と匹敵するくらい、価値ある、そしてファンの心に残る安打だった。
18年間の歩みで、夢見ていたドラフト指名はなかった。目指していた1000本安打の達成もならなかった。しかし、日本で、いや世界でも、誰も歩いたことがない球歴を歩み、周囲が認めるレジェンドとなったのが稲葉大樹だった。“新潟の稲葉”のプレーとその後ろ姿は、多くの人によって今後も語り継がれる。
今はただ、「新潟に来てくれて本当にありがとう。長い間、お疲れさまでした」と伝えたい。
(取材・撮影・文/岡田浩人 撮影/武山智史)